ウラジオストク ルースキー島
「金角湾横断橋」。週末の土曜日、お休みのアンディの提案でルースキー島まで観光しながらドライブに出掛けようという事になった。 ウラジオストクには地下鉄がなく基本的な移動はバスが最も便利な交通手段となる。西方への移動ならシベリア鉄道も利用できるがルースキー島には鉄道が通っておらず、バスで行くしかないが結構時間がかかる。せっかくここまで来たのだからドライブがてら観光に連れて行ってくれるという提案はありがたい。どうせならルースキー島だけでなく、あっちもこっちも連れてってもらおうじゃないの。
アンディにサンライズ・アパートメントまで迎えに来てもらい出発。
金角湾をショートカットして対岸に渡れるように架けられた「金角湾横断橋」を渡る。
これも2012年ロシアAPEC開催に合わせて作られたものだ。
2012年ロシアAPECの目玉である首脳会議が開催されたのがウラジオストクのルースキー島で9月8日と9日の事。
2012年ロシアAPEC自体は1月30日のモスクワ高級実務者会合(SOM1)から開催されているが、 やはり首脳会議の開催にあたってウラジオストクの多くの施設が造成されたり改築されたりして、 あちらこちらで近代化の恩恵をうけている。
例えば
・ウラジオストク国際空港。
・金角湾横断橋。
・ロシア極東連邦大学新キャンパス。
・ルースキー島連絡橋などなど。
ねえアンディ…。
どうでもいいんだけどさ、君の説明とか君のくれたパンフレット見てて思うんだけど…。
ほとんどの施設の名称が「金角湾横断橋」「ルースキー島連絡橋」とかメチャメチャ直接的な命名なのは一体なぜ?
ウラジオストクのあるムラヴィヨフ=アムールスキー半島とルースキー島を結ぶ「ルースキー島連絡橋」を渡ってルースキー島に入る。
ルースキー島に入るとこういった枯れ木と雪の風景が続く。
ところどころに木の家やレンガの家の廃墟があり…。
レンガ造りの建物の廃墟。
廃墟が続く…。
ルースキー島にある建物のほとんどが軍事施設の残骸らしい。
でも…。雰囲気あるよね。ここでアルバムのジャケット撮影とかしてみたい。
ちなみに廃墟ばかり写しているが、2012年ロシアAPECの首脳会議以降、ルースキー島は大規模な「プリモルスキー水族館(沿海地方博物館)」が建てられたり「ロシア極東連邦大学」が移転してきて学園都市化していたり、リゾート開発計画も進みつつあるとの事。
ルースキー島 ノヴォシリツェフスカヤ砲台
ルースキー島に架かる橋「ルースキー島連絡橋」の下に来てみると…。
アンディが僕達に見せたかったのはこの砲台「ノヴォシリツェフスカヤ砲台」。
アンディが1904年2月に始まった日露戦争でのロシア軍と日本軍との戦いの様子を説明してくれる…。
日本軍が中国人に扮したスパイをウラジオストク市街に送り込み、ウラジオストク要塞の砦の砲台からの射撃を避けて市内を攻撃できる地点を探し出し砲撃を成功させた事でロシア軍はさらにその弱点を埋める防衛対策をしたとか…云々。
僕たちがここを訪れた時も他に一組ロシア人の母子がここを訪れていたのを見かけた。
やはり観光客だけでなくロシア人も戦争の傷跡として子供たちをルースキー島のノヴォシリツェフスカヤ砲台に連れてくるとの事だった。
祖国のために戦った戦士に敬意を表してここを訪れた人たちがコインを置いていくそうだ。
…僕もコインを一枚そっと置く。
ルースキー島を少し奥に車を走らせる。ここも軍事要塞のあった場所との事で、その施設は今も残っているそうだ。
このゲートの先には「プリモルスキー水族館(沿海地方博物館)」がある。
ルースキー島に入って間もない所にある「ロシア極東連邦大学」。
元々はウラジオストク中心街のフレッシュ・プラザの向かいと隣にあった大学のようだが、2012年ロシアAPECの首脳会議が行われた会場であるこの施設に跡地利用として移転した。
極東連邦大学は日本語を学ぶロシア人大学生も多く、 日本からの留学生も少なくないそうだ。
後日談だがウラジオストク市内のフレッシュ・プラザ2階のパブ「リパブリック」で日本人留学生や日本語学科のロシア人の団体と立ち話になった事がある。
極東連邦大学は極東ロシア最大の大学で職員数3,300人、学生総数43,000人。キャンパスも広大。
ウラジオストクの市街地から離れてて周辺には何もないので大学のキャンパス内にスーパーマーケットや学生、教職員の住むマンション、カフェやレストラン等、この大学内だけで生活が完結するように施設が整備されている。