サーファーズパラダイス PADIダイブマスター取得
サーファーズパラダイス PADIダイブマスター・コース。
PADIダイブマスターはPADI認定のダイビングプロフェッショナルで、プロダイバー(職業ダイバー)としてファンダイバーの引率ができたり、インストラクターのアシスタントができたりする。スキューバダイビングを仕事とするなら取っておきたい資格だ。オーストラリアでPADIダイブマスターを取得すると「PADI ASIA PACIFIC OFFICE」からライセンスが発行されるが、日本のPADIで再発行してもらう事もできる。
アドバンスド・オープンウォーター・ダイバーを 受講する事になり、やっぱり何かとお金が必要になってきた。
結局アドバンスドを取った後も
レスキュー・ダイバー(Rescue Diver)
↓
メディック・ファーストエイド(Medic-First Aid)
↓
ダイブマスター(Divemaster)
まで取得した。
アドバンスドを取ったあたりから、 Nagiさんから
「忙しい。手伝わない?」
と声がかかるようになり、無給だったけど潜ってログ本数を稼ぐ事ができた。
もちろんタンクをエア・チャージしたり、タンクをバンに積み込んだり、機材を洗ったり干したりと 雑用もたっぷりあるのだが、普通は100ドル以上するダイビングをタダでやらせてもらえるのは美味しかった。
ダイブ・ログが溜まっていく…。
お金も右から左で消えていくが、ダイビングのランクも上がっていく。
女の子のダイブマスター候補生もいて、
・水深10メートルでの全装備交換、
・ディープダイブ、
・水中ロープワーク、
・パニックダイバーの救助
など 男の僕でも結構キツイワークをこなしていた。
僕はNagiさんのアシスタントをしながら、 お金を払ってダイブマスター・コースにも参加していたので、どこまでがトレーニングでどこまでが手伝いなのか境目がはっきりしないまま、バイトが入っていない日はこのショップに通った。
あんまり言えた話でもないが、ダイブマスターを取得して、本チャンの体験ダイビングにアシスタントとしてついて行った時、2人のダイバーを任されたのだが、ガンガン勝手に潜っていく男性がいて僕はこの体験ダイバーをロスト(見失う)してしまった。
規定通り1分間捜索して見つけられず浮上。 船の上から気泡の捜索をしてもらうが見当たらず…。
幸い事故にはならなかったが、プロに成りたてで 「ロスト・ダイバー」の洗礼はちょっときつかった。
お金はというと…
シーフードレストランでのバイトは順調にいっていたし、信頼も付いてきて、ダイビングをしていない日はランチ時間でも声がかかれば 働くようになっていた。
空港で客引きするツアーガイドもうちの店に日本人客を連れてくるようになり、僕が働いている効果は出てきているみたいだった。
もっとも オーナーとガイドの間のキックバック次第だろうが、そこは僕には関係ない。
チップの方も
「オージーはつり銭程度」
なのに対し
「日本人はわざわざ札を置いていく」
ので日本人客に対するスタッフの受けもよかった。
僕が経験した中で一番大きなチップを置いて行ったのは 日本で株式上場している大手寝具メーカーの団体で、「社長」と呼ばれるオジサマがいてそのテーブルは白いお札… つまり
「100ドル札を5枚」僕の手に握らせた。
日本円にして約43,000円。
これをホールスタッフで山分けするのだがオージーのスタッフ達も大喜びだった。
キャッシャーのデビー(Debbie)、ホール長のディオーン(Dion)も 日本人のチップの多さには気づいていて、日本人客が入ってくると大声で僕を呼び「しっかりやれよ~」といったような目配せをするようになった。
入店したころは日本人客も少なくオージーの対応がほとんどだったが、 一ヶ月もしないうちに僕は日本人客の対応に追われることになった。この頃になると給料よりチップが多くなっていた。
さらに対応したお客さんに色々質問される事が多くなり、
「仕事終わったらどこか連れて行ってくれませんか」
とお店の外に物事が広がるようになっていった。
初めは「えー、俺そんな暇も金もねー!」と思って 困惑していたが、実際に待ち合わせをしてカジノやジェットスキーなどに 案内し、サーファーズの事を聞かれるまま話していたら 最後に
「ありがとうございました。」と共に100ドル札。
もちろんレストランに行けば僕の食事代も払ってくれるし、 カジノに行けばプレイ代を払ってくれる。
…これには驚いた。
普通に日本人的な親切心で同行したのに レストランでの一日の稼ぎ以上の現金が入ってきた。
これには味をしめた。
私設ツアーガイド業だ。
料金表も事務所もない…。
レストランでは決して自分からは「案内しましょうか?」と切り出さなかったが、 淡々とウェイターをやっているだけで結構「今日は何時に終わりますか」 と聞いてくる人がいたし、僕もできるかぎり断らなかった。
僕は連れて行くレストランやジェットスキー屋とも顔なじみになり 気が付けばキックバックをもらえるようになっていた。
サーファーズにはツアーガイドをしている日本人はたくさんいたが、 彼らは時給で働いている。 免税店などから入るキックバックは100ドル入ろうが1,000ドル入ろうが彼らは会社に入れなければならないが、僕は誰に渡す必要もない。
そういった点において彼らとは大きく違った。
…バイト代、そこでのチップ、店外で案内してもらうお礼金、キックバックと シーフードレストランを起点にかなり荒稼ぎができた。
もっともその金のほとんどはダイビング・ライセンスやウェットスーツなどに 化けて行ったのだが…。
暮らしはというと…
僕は金銭的な余裕が出た事もあり、海外で初めて自分名義で不動産を契約して
「unit 1 Chevron Island, 13 Adori Street,」
で88年3月から一人暮らしをした。
前回のオーストラリアでは日本人とばかりつるんでいたが、 ヨーロッパでの日本人なし状態を経験していたためか、 今回のサーファーズではNagiさんとショップの生徒以外は あまり日本人とつるむ事はなかった。
この写真はHisamiさんのフラットに遊びに行った時の物。
それでもたまには日本人フラットに遊びに行く事もあったが、職業柄仕事が終わるのが遅いので時間が合わず、店が終わった深夜、クラブに行ったり飲みに行ったりするのは どうしてもレストランの仲間と一緒が多かった。
ラスティ ペリカンには日本人は僕だけだったが、外国人という意味では カナダからワークングホリデーで来た レベッカ(Rebecca)とトレーシー(Tracy)という 姉妹と間違うほど雰囲気の似た女の子達がいて、 彼女たちとはかなり仲良くなり 飲みに行ったり、彼女たちのフラットに遊びに行ったりもした。
自由奔放でカナダ訛りのきつい英語がかわいらしい小柄なレベッカに僕がちょっかいを出すと 姉御肌のトレーシーが必ず割って入る。
レベッカと僕は記憶が飛ぶほど飲んで、オーキッドアベニューの道端に 座りこんで二人で大声で歌を歌ったり、寝てしまったりしたこともあったが、そんな時も必ずトレーシーがそばにいた。
後々になってレベッカに
「君のそばにはいつもトレーシーが寄り添って守ってくれてるよね。」
という話をしたら
「あれは私にじゃなくmitに寄り添ってたのよ。気付かなかったの?」
と言われた。
…正直、ダイビングと金稼ぎに忙しかった僕はそういう事に頭が回らない。
…嘘。
…正直僕はトレーシーではなくレベッカに気があった…。
「日本人ダイバー」を売り込む
1988年8月19日付、PADIダイブマスターの証書。
ダイブマスターに挑戦した時からビザの期限切れとの戦いになっていたのだが、 なんとかダイブマスターになれそうだとわかった時点で、それまで考えていたアイデアを実行する事にした。
海外のダイビングショップの一覧が載っている雑誌を買ってきて、 めぼしいショップに「俺を雇わないか?」という内容の手紙を送るというものだ。
モルディブ(Maldives)、インドネシア・バリ(Bali)、パラオ(Palau)、フィジー(Fiji)など 暖かくて観光地として有名な地域を選んだ。 北欧で気分が滅入った経験を反省に寒い地域は外した。
売込みのポイントは
「日本人ダイバーなので日本の観光客の相手ができる。」
「海外生活が2年半あり英語堪能。」
「21歳で若く健康。」
といったところ。
そして80通以上の手紙を送った。
ビザ切れの1ヶ月以上前に全て郵送して、 毎日オファーの返信がないかポストを覗きこむ日が続き、 ついにモルディブとバリの 2か所から会ってみたいとの返信をもらった。
モルディブはダイバーのあこがれの地で一番行ってみたいところだった ので飛び上がって喜んだ。
ダイビング雑誌などで見るとわかるが、ダイビングポイントもすごいが この国もすごく面白い。 地図で見るとインドの南西部のアラビア海(Arabian Sea)に位置し、 欠けた環礁型の島が点在する国で、 1,000の無人島と200の有人島からなるが首都であり最大の都市であるマレ(Male) でも島幅2kmあるかないかだ。計算上大人の足で2時間程度で島を一周できる大きさ。
元々は漁業が基幹産業だったが、ダイビングをはじめ観光で注目を浴び、 近年観光による経済成長著しい国。
…この国に先駆的に日本人ダイバーとして住めればと思うとワクワクする。
しかし現実的にはモルディブに行く旅費がネックになった。
結局、オーストラリア出国と共にインドネシア・バリ島に向かう事にした。
務めていたレストランRusty pelicanでは「ビジネス・ビザ」の話も出たが、 やはりダイビングを試したかった。